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小さな成功体験を、一歩一歩重ねていくこと ~私とKaien 第1話~

2015年11月25日

『私とKaien』は当社の就労移行支援を利用していた訓練修了生や、ガクプロやTEENSをご利用中のお子様を持つご家族など、Kaienと一緒に発達障害の魅力を世の中に広げていただいている方々へのインタビューシリーズです。1回目は、創業間もなく当社とつながり、複数の会社を経由した後、今地元長野で働かれている中沢さんにお話しを聞きました。

中沢秀幸さん  小さな成功体験を、一歩一歩重ねていくこと

 KaienのWEBサイトを見つけたときのこと、よく覚えています。2009年の年末、こたつに入って、パソコンで就労移行の支援機関を探していました。キーワードは「発達障害」と「就労」。ヒットの上位にある会社のWEBサイトはどれも、真面目過ぎて暗い印象だったんです。そんな中でKaienは、明るいサイト・デザインで使いやすいのも良かった。検索ページの奥、7ページ目くらいだったでしょうか。その場ですぐ母親に、「良さそうな会社見つけたよ」と言ったら、「いいんじゃない」って。
 無職になって3年。長野の実家で親のすねをかじる34歳のニートでした。切羽詰まって親にも八つ当たりをしてしまっていましたね。甘えていたんです。
 年が明けた2010年1月、東京へ、慶太さん(Kaien代表取締役の鈴木慶太を指す)の講演を聞きにいきました。東京の病院で発達障害の診断を受けたのもこの頃です。診断が出るか出ないかというときに聞いた講演で、なぜか「この人のやることなら大丈夫」と思いました。診断が出ても大丈夫だと。つかむわらを見つけた気持ちでした。

Kaien訓練所開設とともに利用スタート

 2010年4月、Kaienが就労支援プログラムを開始するのと同時に、利用を始めました。訓練ではコミュニケーションの何たるかを知りました。訓練の前と後では、人との付き合い方が劇的に変わったんです。ソフトウェアやIT、ワードやエクセルといったデスクワークの基礎を初めて学びながらホウレンソウ(報告・連絡・相談)を実行。それまで一方通行で終わっていた人とのコミュニケーションが、双方向で取れるようになっていきました。
 3カ月の訓練の後、8月に人材派遣会社の障害者枠で、経理アシスタントとして就職。念願かなっての就職でしたが、この年の年末、慶太さんに厳しい注意を受けることになります。体調を崩して10日間ほど欠勤してしまったんです。支援機関の方にも、「社会人として自覚が足りない」と注意されました。さらに、上司が私の業務報告を負担に思っていることも分かって。一方的で長い報告をしているという自覚が、全くなかったのもショックでした。訓練で学んで変わったつもりが、まだまだだと気づいたんです。
 これがターニングポイントになりました。身なり、話し方、聞き方、すべて変えようと決めたんです。「ここで変わらなきゃ一生変われない」と。決意を実行に移して、自分の変化を実感するまでに一年半かかりました。自分が少しずつ変わっていくにつれて、自分を取り巻く状況も段々と良くなっていきました。それまでモノクロにしか見えなかった景色に、一つずつ色が加わっていったと言えばいいでしょうか。ひと息にカラフルな画になったわけではありません。一色、一色、感覚のセンサーが増えていくように感じていました。

働く基準を示してくれた人

 変化の手ごたえをつかんだ頃に、大手IT企業の特例子会社G社への就職が決まりました。Kaien経由の転職です。すでに人材派遣会社を退職し別の大手人材派遣会社の特例子会社を経て、Kaien訓練後、2度目の転職でした。
 G社への入社は自分にとって大きな成功でした。ところが、そうした成功体験の後には試練が伴うのだと、実感することになったんです。仕事では初めてのリーダー業務に苦労しました。リーダーとしてどう振る舞えばいいのか分からない。試行錯誤の繰り返しで、納期のプレッシャーもありました。プライベートでは人間関係で、コミュニケーションの難しさに悩みました。受信も発信もうまくいかない。定量的に言えないけれど、肌感覚でずれていると感じていました。でも、慶太さんが言っていたんです。「人間同士、完全に分かり合うことはできない」と。「それでも価値観の重なる部分がある。その同じ部分を繰り返し確認することが必要なんだ」とも。KaienのWEBサイトにもありますね。

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ノースウエスタン大学ケロッグ経営大学院のコースター。ケロッグはKaien代表・鈴木慶太の母校にあたる。第一期の訓練生3人だけがもらった特別な餞別

 慶太さんの考えは、働くにあたっての基準の一つになりました。例えば、私には働く上で大事にしていることが5つ。効率良く、責任を持って、成果を出すこと。チームを大切に、規律を守ることです。G社では業務リーダーとしてメンバーの強みを活かすため、自分の個人的な感情を差し挟まずに、話す内容でその人の能力を判断しようと心掛けました。自分と趣味や馬が合わなくても、その人がある業務について的を射た発言をしていれば、評価しようと。慶太さんからはたくさんの影響を受けています。

不思議な縁から長野の実家へ

 業務リーダーの仕事も一年は苦労が絶えませんでしたが、業務が軌道に乗って少しずつ自信が付いてきました。そして、一般枠の人と同じ条件の職場で、自分を試してみたくなってきたんです。
 それで転職したのが今の会社です。この10月から長野に戻って、製麺会社で働いています。知人に紹介されての転職で、東京勤務のつもりでいたところ、長野本社勤務の話が出てきたんです。通販サイトでそばやラーメンを購入いただき、ネットバンキングの入金情報を本社のシステムに落とし込む仕事です。
不思議な縁で、実家にも戻ることになりましたが、悪くないなと思っています。なぜなら、自分が変わったことを知っているから。これがもしニートのままだったら、戻る気にはなれなかったでしょう。無職の時代は、いつ終わるともしれないトンネルの中にいました。自信がなく、スキルがなく、お金もない。自分が何者かが分からなかった。
 今では自分を客観視できるようになりました。履歴書の志望動機も正直に書けました。自信がついて、自分を飾る必要がなくなったからです。仕事の実績やスキル・アップがあったから、ここへ戻ってこられた。今、一般枠の人と同じ環境で仕事を任されているところです。今の会社で全うしたい。しなければいけないと考えています。Kaienに出会う前も数えると、転職も9回に上りますから。

自尊心を取り戻して気付いた故郷の美しさ

 Kaien後、順調にキャリアを重ねたように見えるかもしれませんが、そんな華々しいものではありません。私の場合は大きなターニングポイントがありましたが、やはりそれでも、一日一日の積み重ねなんです。訓練生の方に言いたいのは、変化は一朝一夕では訪れないということ。小さな成功体験を積み上げていくほかないんです。私も、今また成功を手にしたわけですから、新しい試練があるかもしれないと謙虚な気持ちでいます。そうすれば心構えができますから。
 Kaienは自分の人生を好転させてくれた、本当に大きな存在です。定着支援や転職時にも、Kaienのサポートには変わらない心強さを感じていました。今の生活が続いて安定したら、株主になりたいと考えています。配当金目当てじゃないですよ(笑)。何か恩返しがしたいんです。今は「かいえんぴあ」(Kaien利用者・修了生限定のクローズドSNS)で週に一度ブログをアップしています。「ようこそ先輩」(Kaienの修了生が訓練生に向けて就活の体験談を語るイベント)の登壇は5回を数えました。これからもずっと、つながっていきたい。
 今はまだ、特にお酒を飲むときに、横浜や東京の都会が恋しくなります(笑)。こちらは車での移動だし、飲める場所が自宅くらいですから。実家から車で山を10分ほど上がると、諏訪盆地を一望できる場所があるんです。毎朝車で、その眺めを見ながら走っています。たまに雲海も出るんです。無職のときは雲海が出ると、「なんだ辛気臭い」と思っていました(笑)。それが今見ると本当にきれいで、ちょっと神々しいくらいなんです。

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通勤時に一望する諏訪盆地。日によっては雲海が見られることも

(取材 2015年11月)

中沢秀幸さん:39歳男性。34歳でKaienを利用。修了後、障害者枠にて3社での勤務を経て現職。

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