「なぜ周囲と同じようにできないのか」。長年の違和感の正体が30代で判明したSさん。
看護実習での挫折を乗り越え、就労移行支援での訓練を通じて辿り着いたのは、苦手なマルチタスクを「見える化」で補い、できないことは素直に人に”頼る”強さでした。
自立とは一人で抱え込むことではない――。自分の弱さを認め、周囲の力を借りることで掴み取った、Sさんらしい「自立」と「内定」までの軌跡を伺いました。

▼Sさんの簡単プロフィール
| ▪年齢: 30代 ▪診断名: 不安神経症、ASD、ADHD ▪苦手なこと: マルチタスク、突発的な予定変更、集団の中でのリーダー業務 ▪就職先: 大手企業の事務職(障害者雇用) ▪利用サービス:就労移行支援 |
目次
自分の「できない」に医学的な理由がつき、ほっとした
――― ご自身の診断名について教えてください。
私は、令和3年に「不安神経症」というメンタルの診断を受けました。その後、令和5年に初めてASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如・多動症)の診断を受けました。
――― 診断を受けた時、どのようなお気持ちでしたか。
正直に言うと、非常に「ほっとした」というのが一番強い感情でした。診断を受けたのは30歳を過ぎてからで、本当につい最近のことです。
それまでの人生で、「なぜ自分は周囲の人と同じようにできないんだろう」という違和感をずっと抱えてきました。それが医学的に説明がつくようになったことで、ようやく腑に落ちた、すっきりしたという感覚でしたね。
――― どのような場面で、その「違和感」を強く感じてこられたのでしょうか。
一番大きな挫折は、大人になってから再入学した看護学部の実習でした。看護の授業は座学だけでなく、人形を使った演習や現場での実習が多いのですが、私は「先生の動きを見る」ことと「メモを取る」ことを同時に行うのが全くできなかったんです。
――― マルチタスクが難しいという特性ですね。
はい。見ようとすると手が止まり、メモしようとすると先生の動きに集中できなくなってしまう。実習現場では、教員、看護師、患者さんの情報を瞬時に処理して記録しなければなりませんが、その情報処理のスピードに全くついていけませんでした。結局、それが原因で看護師の道は諦めることになったのですが、当時は相当なショックを受けました。
週5日の通所を目指し、自立訓練からステップアップ
――― Kaienを利用されるようになったきっかけを教えてください。
最初はすぐに就労移行支援を利用したかったのですが、主治医からは「今の状態では難しい」と止められました。当時は不安神経症の薬の影響もあり、1日活動すると次の日はぐったりしてしまう状態で、週5日通う体力がなかったんです。
――― まずは体調を整えるところからスタートしたのですね。
そうです。まずは自立訓練(生活訓練)から始め、少しずつ体力をつけていきました。徐々に安定して週5日通えるようになり、「これなら就労移行に進める」と自信が持てたタイミングで移籍を決めました。
――― 就労移行支援での目標は何でしたか。
もちろん「就職」が大きな目標でしたが、それ以上に「自分自身の特性を深く理解すること」を大切にしていました。診断を受けて日が浅かったので、発達障害*と言われても具体的にどう動けばいいのか分かっていなかったんです。
実際の職場を模した訓練を通じて、「何ができて何ができないのか」をはっきりさせたいと考えました。私は、自分には一般雇用は難しいと確信していたので、障害者雇用で「合理的配慮」を求めるためにも、自分の強みと弱みを言語化できるようになりたかったんです。
「見える化」こそがマルチタスクへの最大の対策
――― 訓練の中で、苦手なマルチタスクに対してどのような対策を身につけましたか。
一番の対策は「やることをすべてメモにし、デジタル上で管理する」ことです。具体的には、自前のExcelファイルを作って、その日のタスクや受けたアドバイスをすべて記録するようにしました。そうすることで、次に何をすべきか優先順位をつけやすくなったと感じます。
――― そのExcelでの管理方法は、ご自身で考案されたのですか。
実は、訓練で一緒だったIさんの手法を参考にさせてもらったんです。彼は複数のタスクが重なる「営業ゲーム」というプログラムで、進捗を完璧に管理するシートを作っていました。それを見て「これは使える!」と思い、お願いしてフォーマットを譲ってもらい、自分なりにカスタマイズして使いこなせるようにしました。
――― 良いところを積極的に取り入れられたのですね。他に印象に残っているプログラムはありますか。
「オフィスレイアウト作成」ですね。正解がないものをチームで話し合って形にしなければならないこと、その回はリーダー業務に挑戦したことが重なり、非常に苦戦しました。自分で作業しながら全体を俯瞰し、指示を出すのは至難の業だと感じます。
でも、そこでも「見える化」が役立ちました。チーム全員で情報を共有し、目に見える形に落とし込むことで、苦手なコミュニケーションの壁を少しずつ乗り越えられた気がします。リーダーとして決断できない自分に悩んだこともありましたが、それも一つの貴重な経験になりました。
できないことを認め、人に頼ることで見えた「自立」の形

――― 訓練を経て、ご自身の中で変化した部分はありますか。
人生観が大きく変わりました。Kaienに来るまでは、「人より劣っている分、なんとか自分一人の力で自立しなきゃいけない」と強く思い込んでいました。でも、2週間に一度のキャリアカウンセリングなどを通じて、「できないことは相談して、問題を共有していいんだ」と思えるようになったんです。
――― 「誰かに頼ること」を肯定できるようになったのですね。
はい。「ここはできません、でもこの分野なら頑張れます」と素直に言える生き方。それが障害者雇用においては正解なんだと気づきました。すべてを完璧にこなすことが大人の嗜みだと思っていましたが、今は、自分の弱さを認めて人の力を借り、逆に自分の得意なことで誰かを助ければいい、と思えるようになりました。
思い切って進んだ就活で掴んだ「安心できる場所」
――― 就職活動についても詳しく教えてください。本格的に動き出したのはいつ頃ですか。
日付まで覚えています(笑)。5月29日です。その日に参加した企業説明会が、私の就活のスタートでした。それまでは自信がなくて足踏みしていたのですが、スタッフの方から「ハローワークの非公開求人」を紹介していただき、思い切って飛び込みました。
――― 何社ほど受けられたのでしょうか。
実は、内定をいただいたその1社だけなんです。本当に運が良かったと思いますが、自分なりの「軸」はしっかり持っていました。
――― どのような軸で企業を選びましたか。
「実習があること」と「障害者雇用の取り組みを公表していること」の2点です。いきなり入社するのは怖かったので、実習を通じて雰囲気や人を知りたかった。また、形だけの雇用ではなく、会社としてしっかり障害者と向き合っている実績があるところを選びました。
――― 面接対策はどのように行いましたか。
面接は非常に苦手だったので、週2回の面接練習を欠かさず受けました。数をこなすうちに、アドリブの質問にも最低限答えられるようになりましたね。何より、想定問答を作る作業自体が「自己理解」を深めることになり、自分の特性を説明する良い訓練になりました。
ライフワークバランスを大切に次の舞台に
――― 入社後はどのようなお仕事をされる予定ですか。
まずは社内郵便の管理業務からスタートする予定です。実習では10種類ほどの業務を経験しましたが、上司と相談しながら、自分の特性に合ったものを分担していただくことになっています。
――― 今後の目標や挑戦したいことを教えてください。
仕事での目標はもちろんですが、それ以上に「プライベートを充実させること」を目標にしています。私は視野が狭くなりやすく、仕事の不安を私生活まで引きずってしまう癖があります。だからこそ、オンとオフをしっかり切り替えて、心のバランスを保ちながら長く定着していきたいです。
付録~Sさんについて

――― プライベートで今熱中していることはありますか。
「チェス」です。デイケアに通っていた頃の知り合いに誘われて始めたのですが、今は町田のチェスサークルに参加して腕を磨いています。
――― 素敵ですね!今後の目標はありますか。
来年は公式のチェス大会に出場したいと思っています。公式戦に出るには、自分の指し手をメモする「棋譜」を取る必要があるんです。マルチタスクが苦手な私には少しハードルが高いのですが(笑)。品川で開催される全国規模の大会で、全国から集まる熱いプレイヤーたちと対局できる日を楽しみに、コツコツ練習を続けていきます。
▼Sさんの成長ストーリーの前編はこちら
※インタビュー内容については、表現を一部改変しています。
*発達障害は現在、DSM-5では神経発達症、ICD-11では神経発達症群と言われています。
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