大人のギフテッドを考える社長ブログ

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先日、Kaien特別セミナーで『発達障害とギフテッド』を取り上げました。昨夜編集も終わり今度の水曜日(2022.10.26 19:30~)にYouTubeで公開します。

今回のゲストは『ギフテッドの個性を知り、伸ばす方法』の著者である片桐正敏先生(北海道教育大学旭川校 教授)でした。

セミナーを進行しながら感じたことをまとめたいと思います。(今回は自分の人生でのエピソードも多分に含まれます…)

 

ギフテッド/2Eって分ける必要がある?

セミナー内でも繰り返しお伝えした通り、片桐先生の著書を読んでも、説明を聞いても、私はどうしても発達障害とギフテッド/2Eを分ける必要は感じませんでした。

①そもそも支援を受けようとするなら日本では発達障害などの「障害」としないと支援が受けられない/受けづらいのでは

②高IQ・過度激動・秀でた分野の3つがギフテッド認定要因。特に発達障害との違いは「過度激動」とのことだったが、実行機能や想像性の苦手さで十分説明できるのでは

 

活火山と休火山の違いでは?

まず②について。もちろん先生の主張も成程とは思いました。

しかし、ADHDやASDと診断されても、いたるところで想像性の欠如が見られたり、不注意・多動が見られたり、四六時中、特性が前面に押し出されている人は少数派だと思います。加えて過度激動というのも結局は、発達障害の想像性の欠如や不注意・多動といえる行為・症状としか鈴木には思えませんでした。逆に言うと片桐先生は診断の範囲が非常に狭いのだろうと感じました。

つまり「発達障害の特性」か「ギフテッドの過度激動」かは、簡単に言うと程度・頻度の差でしかないかなと…。同じ火山である活火山と休火山の違いぐらいなのかなと思いました。実は休火山と言われていたものも地球の歴史から見ると一瞬である人の歴史では活動していないように見えるだけで別に休んでいるわけではない。活火山も24時間365日噴火しているわけではない。程度・頻度の差を別名で捉えるとかえって混乱するのではというのが私の印象です。

 

障害というスティグマを避けたいのはわかる が…

①について。アメリカでは「出来すぎる」子たちへの教育の支援があると聞きました。しかし日本で支援を受けようとすると「(通常のクラスでは)出来ない」という意味での困り感でないと対応されません。ギフテッドが認められず、「出来すぎる」子たちへの支援が受けづらい今、支援を受けたいならば発達障害などの障害にならざるを得ないのではないかと思います。

もちろん「障害」という言葉に抵抗があるのはとても分かります。というか自分も同じ感覚です。自分の子どもが自閉症だろうと言われたときはものすごいショックでしたし、今でもその時の感覚は覚えています。

ただし違う言葉を持ち出しても困っていることは変わらない。ギフテッドという言葉には現状を見つめることを回避することにつながりかねないのでは…とも思っています。このあたりは次回の特別セミナーで取り上げる「発達障害とHSP」についても同じです。医学的に定義されていない概念を使うのは本質を見失うデメリットもあるのは理解したほうが良い気がします。

 

自分もそうだったのか…な?

一方で、片桐先生によるとギフテッド先進国のアメリカでは6%も認定されている子どもたちがいるとのこと。少なくとも120以上のIQ(人口の10%強ほど)ということでしたので、IQ120を超える子どもの半分がギフテッドということですよね。となると確かに発達障害の概念を大きく超えていくな(いわゆる2Eではないギフテッドという概念)と思います。つまり発達障害かどうかという類似性を考えるよりも、普通に高IQで周囲とやり取りがしづらいということを指しているのがアメリカ式なのかもしれません。

そういえば自分も小中は地方の公立学校でした。小学2年生の時から「どうして自分よりも勉強が出来ない人(先生の事)が勉強を自分に教えているのかな?」と大人社会の不思議さを感じながら授業を受けていたのを覚えています。幼いころはその程度の違和感だけでした。それが小学校高学年から中学校の頃にもなると、反抗期・思春期も入って、特に学力面で普通に合わせることにとてもフラストレーションを貯めていました。ある意味支援が必要だったと思います。自分はIQは受けたことが無く、今度受けてみようかなとも思っていますが、いわゆるギフテッドと言えた子なのかもしれません。

都会で裕福な家庭だったら、私立の小中に入れれば、似た学力の子たちと勉強をできるのかもしれません。しかし、地方や普通の家庭だとそういう選択肢が無かったりします。公立学校でギフテッド的な子が潰されないような仕組みが必要だという主張は、ギフテッドの概念をそこまで拡大すると納得できるものです。文科省がしたがっている(!?)ギフテッド教育はこういった才能教育なのかと考えると合点します。

 

普通級や地域社会が変わるべき

ただし特別支援教育の拡充ではなく、普通級の方で支援が出来るようにしてほしいです。教科書を読めば最初の1か月ぐらいでその学年ですべきことなど理解できる子はたくさんいるでしょう。その子のペースで次のレベルの課題に取り組めるようにしてほしいですし、興味関心が高いところはどんどん伸ばすような学習が普通級で出来ることが理想です。それは以前書いた国連からの是正勧告にも合致します。

参考)世界と逆行する日本の障害者事情 行き来が出来る社会へ 「分離教育」と「隔離生活」を考える

また学校というスケープゴートになりやすいところに批判を集めるのもどうかとは思います。当然、子どもが過ごす時間が長いのは学校ですが、放課後の時間も含めて、まだまだ障害児は分離されています。ギフテッドの子を特殊なところに通わないと才能を伸ばせないいけないという現実は望ましくはないでしょう。

実際学校を卒業したら地域社会で暮らしていくわけです。地域社会の方もギフテッドの人たちをよりスムーズに受け入れる方法を考えるべきなのでしょう。

 

大人のギフテッド 特に職場において

整理すると発達障害とギフテッドは区分けする必要はあまり感じない。しかし人口の6%までをギフテッドと考えるのであれば高IQ≒ギフテッド≒発達障害になり、このギフテッド的な人たちの教育や雇用、そして自立生活を考えることは本人にとっても社会にとっても必要となります。

ただしまだギフテッドの議論はほとんど子ども時代に閉じています。ギフトが開花すべき大人時代にどうするかはほとんど聞かれないものです。

実際のところは当社のような就労移行支援に、高IQで、うっすら系の発達障害の人はたくさん来ています。「そうか…彼らは『大人のギフテッド』と考えられるな。ただし、発達障害という枠組みで支援に入るしか、現状の日本で支援される方法はないのだろうな」と感じてしまいます。つまり子ども時代と同じ環境だということです。

一方で諸外国には大人向けの障害福祉制度や障害者雇用が無い/乏しい国のほうが多い中、発達障害という敷居をまたぐにせよ、支援の枠組みがあるのは救いなのかもしれません。多くの国では小さいころギフテッドだったかどうか関係ない、大人になったら対等に活躍してね、で終わりになるところばかりでしょうから…。

理想的にはダイバーシティ特にニューロダイバーシティという概念が広がることでしょう。「マジョリティ=特権側」の人間が一人一人の差異に気づき、普通の職場でも一人一人の特徴を伸ばせるような考え方が実行できれば、発達障害かギフテッドか論争もなくなる気がします。

それまでは、大人にも相当数のギフテッド的な人がいて、そのうちの相当数は一流企業などに勤務するマジョリティ=特権側の人間になっていくが、これまた相当数はマイノリティとしてギフトを使えないままでいることを社会全体が意識して、場面場面で考えをめぐらすぐらいしかできないのでしょうか…。

結論が弱くて申し訳ありません。以前よりもギフテッドという言葉を解像度高く考えられたことだけはたしかで、是非皆さまと議論を続けていきたいと思います。

文責: 鈴木慶太 ㈱Kaien代表取締役
長男の診断を機に発達障害に特化した就労支援企業Kaienを2009年に起業。放課後等デイサービス TEENS大学生向けの就活サークル ガクプロ就労移行支援 Kaien の立ち上げを通じて、これまで1,000人以上の発達障害の人たちの就職支援に現場で携わる。日本精神神経学会・日本LD学会等への登壇や『月刊精神科』、『臨床心理学』、『労働の科学』等の専門誌への寄稿多数。文科省の第1・2回障害のある学生の修学支援に関する検討会委員。著書に『親子で理解する発達障害 進学・就労準備のススメ』(河出書房新社)、『発達障害の子のためのハローワーク』(合同出版)、『知ってラクになる! 発達障害の悩みにこたえる本』(大和書房)。東京大学経済学部卒・ノースウェスタン大学ケロッグ経営大学院修了(MBA)。星槎大学共生科学部 特任教授 。 代表メッセージ ・ メディア掲載歴社長ブログ一覧